Interview 030

Kumiko Suzuki

Kumiko Suzuki

移り変わりゆく香港の景色を、
刺しゅうの世界にギュッと閉じ込める。

November 22, 2021

刺しゅうの魅力や惹かれた理由を聞く連載インタビュー。勤めていた出版社を退職した後も編集の仕事を続けながら、最も好きな街である香港で目にしたものをモチーフとして刺す、macaroniの屋号でもご活躍中の刺しゅう作家・鈴木久美子さんにご登場いただきました。


ーー鈴木さんはいつ頃から刺しゅうを始めたのでしょうか。

実は刺しゅうを始めたときのことをはっきりと覚えていないんです(笑)。実家の庭にバラがたくさん咲いていて、その花をスケッチして刺しゅうにしていたことがあるんですが、それが始まりかもしれません。友達の結婚祝いの贈り物として、テーブルクロスやミトンに刺しゅうをしてあげたりもしていました。勤めていた出版社を2011年に辞めたのですが、その2、3年前ぐらいから本格的に始めていたと思います。

ーー退職されたのは何かきっかけがあったのでしょうか。

12、3年も働いていると辛いことも増えてきてしまって(笑)。日中天気がいい中でパソコンに向かってカタカタやっていることに疑問や疲れを感じるようになったんです。それよりも、「早く家に帰って刺しゅうをしたい」という気持ちがどんどん強くなり、いつか後悔しないようにと思い切って辞めることにしました。でも編集の仕事も好きだったので、退職後の現在も、勤めていた出版社が刊行する雑誌「SWITCH」などで時々お仕事をさせていただいています。

雑誌の編集は撮影や取材など、相手がいて成り立つ仕事なので気を使うこともあるんですが、刺しゅうは誰に何を言われることもなく、ひとりの世界の中で黙々と作業に没頭できるので、気が楽です。とはいえ、細かい作業をするという点では似ているところもあると思います。編集の仕事で原稿を書くときはキャプションが2文字分余るのも嫌で文末まできっちり書き切りたい性分なのですが、そういうところは刺しゅうにも通ずるものがありますね。どちらかだけでなく両方できるのが面白くて、今は刺しゅうと編集の仕事をバランスよくやれていることがちょうどいいです。

ーー刺しゅうを本格的に始めてからのことについて教えてください。

「仕事として長く続けていくためには、自己流でやるよりも一度誰かにきちんと習った方が良いのでは」と思い学校に通うことにしたのですが、なぜか刺しゅうではなく、レースを習いに行ったんです(笑)。刺しゅうをした生地の周りにレースを施してみたいと思ったんですね。レースの学校には1年ほど通ったんですがその間に仕事が忙しくなり、一旦学校に行くのは辞めてしまいました。

その後は、本に載っているステッチを真似しながら練習しました。仕事を依頼されたときに、図案やデザインに合った刺しゅうを柔軟にできなければダメだと思い込んでいて、いろいろなステッチをできるようになりたい、と勉強に力を入れていたんです。でも、そんなとき、東京のあるギャラリーで知的障害をもつ外国人男性アーティストが刺した作品を観たんです。ステッチの種類はたったひとつだけなのにとても緻密で表現豊かな刺しゅう作品に感動して、それからはステッチを無理に増やすのはやめて、自分がいちばん好きなアウトラインステッチだけでやっていこうと思いました。手刺しゅう独特のふわっとした立体感よりも、ミシン刺しゅうのようなカチッとした質感を出したくて、細かく刺すことでその形を表現できるアウトラインステッチを選んだのです。

ちょうど同じぐらいの時期に、KIGIの渡邉良重さんと植原亮輔さんから刺しゅうの仕事をいただきました。植原さんとは、元々、飲み友達として仲良くしていただいていて、私が編集を担当した単行本のデザインをお願いしたことなどもあったので、刺しゅうを自分の生業にするために会社を辞めることを伝えたら「早速、頼みたい仕事がある」と声を掛けてくださったんです。それが、渡邉良重さんの絵本『ジャーニー』の絵を刺した作品です(写真上から1枚目)。女の子のサイズが1メートルを超えるほど大きく、生地もアンティークのリネンで分厚くて重かったので、ひと針ひと針手で刺すのが本当に大変で泣きそうでした(笑)。良重さんも植原さんも繊細で妥協しない方なので、刺しゅう糸専門店に来ていただいて刺しゅう糸も一緒に選んでもらい、刺している最中も都度写真を撮って確認しながら進めました。朝から夜中の3時半ぐらいまで毎日刺しゅうをする日々を1か月半以上繰り返して、やっと完成した作品です。糸を何本使ったかも分からないし、針も磨耗して数本ほど折れましたが、この経験があったからこそ、その後、刺しゅうをしていてしんどいときも頑張ることができているんだと思います。

ーー依頼された刺しゅう作品を作るときに、心がけていることはありますか。

与えられた仕事を黙々とこなすのが好きなので、自分のデザインではなく、人に頼まれた図案を刺すことも楽しいのですが、その場合は自分の個性はできる限り入れずに正確にその図案を再現したいと思っています。編集の仕事で、取材した話を原稿にするときも同様にあまり自分を出さず、その人が言いたいことが伝わるようにまとめることを心がけています。もちろん発言の意図を汲んで言葉を編みますが、そこに自分の色を入れすぎたら台無しになってしまうような気がするんです。『ジャーニー』のときも、作品を観た人に「良重さんが刺しゅうしたの?」と言われるのが一番嬉しかったですね。それは、良重さんの絵をきちんと再現できたということですから。依頼を受けた図案を刺すとき、私は影の存在でいいので、忠実に表現できることが嬉しいし、気持ちがいいです。

ーーご自身の作品としては香港をモチーフにしたものが多いですが、香港を好きになったきっかけは何ですか。

21、2歳ぐらいのときに、しまおまほちゃんのお家に友達とよく遊びに行っていました。まほちゃんのお父さん(島尾伸三さん)とお母さん(潮田登久子さん)はとにかく香港が大好きで、お二人とも写真家なこともあり香港の本をたくさん出しているんです。お家にお邪魔するたびに「いつかぜひ香港に行ってみてください」と勧められて。それまでは香港ってお金のある人が遊びに行く場所というイメージが強かったんですが、実際に行ってみたらおもちゃ箱をひっくり返したような街の楽しさに夢中になってしまって。最初は1人で行ったんですが、翌年友達を誘ってもう一度行ったらさらに虜になってしまい、それからはほぼ毎年行くようになりました。

初めて行ったときは、伸三さんが描いてくれたラフな地図を頼りに、次はガイドブックを買って持って行ったのですが、一通り観光地を巡った後は地図なんか見ず、好きなように路地を歩く方が楽しくて。行くたびに街の中が洗練されていって、美術館やギャラリーなど新しいものが次々にできていくんだけど、細い路地や古い建物が並ぶ道にばかり足を運んでしまいます。香港は華やかで明るい街なのに、イギリス植民地時代の名残にどこか儚さを覚えたり、香港島と九龍半島の間にある海からの風に色気や艶っぽさを感じて、そんなところに惹かれるんですよね。香港に行くと毎回元気をもらえるので、たぶん土地との相性がいいんだと思います。

ーー「香港が好き」という気持ちが作品からも感じられますね。なぜ刺しゅうで表現することになったのでしょうか。

少しずつ古い街並みや馴染みのお店がなくなってしまって、私の刺しゅうのモチーフになっている飲食店も半分ぐらいはすでに閉店しています。「あのお店で食べたものがもう食べられないんだ」と感じたときに、昔ながらのお店や香港ならではのものを刺しゅうという自分の表現の中にギュッと閉じ込めて、残しておきたいと思ったんです。展示を開催したときには、来てくれた方が作品を観て「昔、家族で住んでいた場所だ」と泣きそうになる場面もあり、「自分が好きな香港の風景を刺すことで、他の誰かも嬉しい気持ちになるといいな」と思うようになりました。

香港をテーマにした作品のモチーフにしているものは、全部自分で撮ってきた写真をもとに刺しています。刺しゅうのために写真を撮っているわけではなく、街を歩いていてふと目に入ったものや気になったものを撮影しています。ネットから画像を拾ったりはせず、自分が実際に見たものや食べたものを、その時の感動や楽しかった気持ちを思い出しながら刺すことにこだわっています。

ーーmacaroniという屋号にはどんな由来があるのですか。

いくつか理由があるのですが、香港ではマカロニのことを「通粉(トンファン)」と言い、「針を通す」の「通」という漢字が使われていることが面白いと思ったことが、この名前の由来のひとつです。それから、何百種類もあるマカロニのように「いろいろな柄を自由に刺したい」と思っていたことや、好きな映画のタイトルが『MACCHERONI』(マカロニ)だったことなども理由です。また、「クスッと笑えるようなものを作りたい」と考えていたので、「馬鹿で間抜けな」という隠語を持つマカロニを活動名とすることで、ポップで楽しい印象を与えたかったんです。

そしてもうひとつ、香港では朝ごはんの定番メニューとしてマカロニを食べることも大きな理由です。ほとんどの人が、朝、喫茶店で香港式ミルクティーとトーストとマカロニのセットを食べています。でも、そのマカロニの味が本当に微妙なんです (笑)。ときどき美味しいお店もあるんですが、そういうところに限って閉店してしまったりするので残念ですね。この朝ごはんのメニューを刺しゅうしたときには、糸だけでなくアクリルガッシュも使用しました(写真上から2枚目)。糸だけだとどうしてもやわらかくて温かい感じになってしまうのですが、メラミン製の器をアクリル絵の具で色を付けることで食べ物とお皿の質感の差を表現したかったんです。

ーー糸以外にも、モチーフにあった道具や技法を取り入れているんですね。その中でも思い入れのある作品はどちらになりますか。

香港の地図を描いた作品です(写真上から3枚目)。メキシコシティやナポリなどの都市の地図を刺しゅうした際に、「いつか香港の地図も刺したい」と思っていたのですが、香港への思い入れが強い分、遊び半分にはできなくて時間がかかってしまいました。

この作品は「H TOKYO(エイチ トーキョー)」とコラボレーションし、ハンカチにもなりました(写真上から4枚目)。2016年に香港で行った展示の案内ハガキを偶然見たお店の社長さんから、私の香港モチーフの刺しゅうをハンカチにしたいとお話をいただいたのが、H TOKYOさんとお仕事をさせていただくことになるきっかけです。手刺しゅうを生地にプリントするという形が面白いと感じて、ご依頼を引き受けることにしました。もとの刺しゅうをそのままスキャンすると糸の陰影が出てしまうので、船、バス、雲呑麺、鳥籠……ひとつずつ写真を撮ってパソコンに取り込み、デザインも自分で組み直しています。一度に3、4種類のデザインのハンカチを作っているので、今ではかなりの枚数になりました。ハンカチはポケットに入れて持ち運べるものなので、香港をいつでも身近に感じられるアイテムとして楽しんでほしいと思いながら制作しています。

ーー使っている道具などにこだわりはありますか。

基本的に刺しゅう枠を使わないのですが、友達が蚤の市で買ってきてくれた刺しゅう枠は唯一使っています(写真上から5枚目)。昔の日本でも、趣味とかではなく必要に応じて女性が刺しゅうをする場面があって、そういう時のために旦那さんが刺しゅう枠を作っていたと聞いたことがありますが、これも手作りのものだと思います。生地をしっかりと押さえてくれて全く動かないので、すごく使いやすくて。香港の看板や乗り物を刺した作品(写真上から6枚目)は、この枠に合わせたサイズなんです。

枠を使わないときは、ペーパーウェイトを重しにして刺しています(写真上から7枚目)。下に引いている台は、使っていない棚板に子どもが赤ちゃんの頃に着ていた服を重ねて、上に余り生地を巻いて作ったものです。布が入っているのでピンクッション代わりに一時的に針を刺しておくこともできるし、糸やハサミを入れる道具入れ(写真上から8枚目)と同じぐらいのサイズなので、蓋のように上にかぶせて持ち運ぶこともできます。このアルミの入れ物は築地市場の道具屋で買ったんですが、本来は天ぷら用のバットなんです(笑)。普段は1階の仕事部屋で刺しゅうをしていて、子どもが帰ってきたらこのセットを持って2階のリビングに上がって、横で子どもを遊ばせながら作業をしています。

ーー道具にも創意工夫が凝らされているんですね。今後、挑戦してみたいことはありますか。

ベトナムのハノイやフィンランドのヘルシンキなど、自分が旅したことのある土地をモチーフにした作品も刺してみたいです。現地で売っているようなちょっとダサくて田舎くさい、スーベニール風の地図を刺して、それをもとにまたハンカチやテーブルクロスを作ったり、バッグや洋服など、いろいろなものに自由に刺したいなと思います。

今は、1色の糸で香港のビルを刺しています(写真上から7枚目)。香港は人口が多いのに面積がとても狭いので、建物の数を増やすことができずに上に伸ばすため、背の高い建物が無数に建ち並んでいます。けれど、昔建てられたコーナーハウスと呼ばれる角が丸い建物は7、8階までしかなく、その独特な形状がとても素敵なんです。その形を強調したくて、あえて糸の色は1色に絞っています。この角が丸いビルはイギリス植民地時代の象徴的な建物なのですが、最近は次々と壊されてしまっているので、刺しゅうにして残しておきたいんです。100棟は刺したいのですが、それが終わったら展示をしたいと思っています。香港のギャラリーやショップ、日本のお店でポップアップショップという形での展示をしたことはあるけれど、きちんとした個展をまだ開催したことがないので、東京、そして香港などの海外で、いつか自分の作品を集めた個展をできたらいいなと思います。

text:藤枝梢
photo:中矢昌行


取材後記

以前取材させていただいたハンカチ屋さんH TOKYOさんでmacaroniさんの存在を知り、すぐに『お話を聞いてみたい』と思いました。
モチーフ選びのおもしろさと、独特の存在感、使用しているステッチは少ないのに、こんなにも魅力的で惹きつけられてしまう理由を知りたくてたまらなくなりました。

面識もなく突然の申し出にも関わらず、とても丁寧にお返事くださり、ますますお会いするのが楽しみになって、いざ当日、玄関を入ってすぐに鈴木さんの作品が出迎えてくれました。 たくさんの作品を見せてくださり、ひとつひとつの細かくて誠実な針目に、『やっぱり実物のパワーはすごい!』とわくわくしながら作品を拝見しました。
編集者でもあることが影響しているのか、性格なのか、とにかく制作に対する向き合い方やビジョンが明確で、その潔さみたいなものが刺しゅうに反映されているような気がしました。

『だいすきだけど、いつなくなってしまうかわからない儚い存在を刺しゅうとしてしっかりと残したかった』というお話がとても印象的で、はじめて作品を目にしたときに感じた、『すき』のチカラが、自分で目にしたものを誠実に刺していくことからスタートした刺しゅうにしっかりと反映されていて、本当に魅力的です。

刺しゅうを習いに行こうかと思ったけれど、ある展覧会をきっかけに、『自分の表現にあったアウトラインステッチ1本でいく!』と決められたというお話もとても潔くて鈴木さんらしい決断だと感じました。
刺しゅうには様々なステッチがありますが、多く知っていればいいということではないですもんね。
他にも、自分が描いたものではないものを刺すときの向き合い方や、作品を販売するときのサービス精神のようなものが鈴木さんの生み出す刺しゅうの根っこにある強さなのだと思いました。

やりたいことはたくさんあるのに時間が足りないとおっしゃっていましたが、作業場にもすごく工夫があり、効率的に楽しく刺しゅうするヒントがたくさんありました。
今回の取材は、いつにも増して、わたしだけがこんなにおもしろいお話、すてきな空間を見せていただくのは勿体ない。多くの人とこの興奮を分かち合いたいと思う取材でした。

atsumi


Kumiko Suzuki

出版社勤務を経た後、2011年より刺しゅう業を開始。macaroni名義でオリジナルグッズやハンカチ等の制作を行う。デザイナー、ファッションブランド、ミュージシャンなどからの依頼による仕事の他、世界で一番好きな街・香港をモチーフにした刺しゅう作品をつくり続けている。

https://www.instagram.com/macaronijp/