Interview 019

Mutsumi Tsuuzaki

Mutsumi Tsuuzaki

素晴らしさが心に響く、
手刺しゅうと、ミシン刺しゅうと。

Dec 18, 2020

刺しゅうの魅力や惹かれた理由を聞く連載インタビュー。第十九回目は、木琴奏者であり、アンティーク着物コレクターとしても知られる通崎睦美さんに登場いただきました。


――マリンバを始められたきっかけや現在の活動について教えてください。

5歳からマリンバを始め、大学院修了後はマリンバ奏者として活動をしていました。2005年、世界的な木琴奏者・平岡養一さんの木琴を演奏する機会に恵まれ、その古い「響き」の虜になりました。それは1935年(昭和10年)のアメリカ製で、良質なホンジュラス産ローズウッドを材料に、秀逸な技術で作られた、今は再現できないような木琴。その後、譲っていただいたことがきっかけで、だんだんとマリンバ奏者から木琴奏者へとシフトして、今は、ほぼ木琴しか弾いていません。

――本日お伺いしているこちらのすてきな建物は、古いお家を改装されたのでしょうか?

私が集めている古い着物や帯は珍しい柄が多く、同じものと再び出合うことが少ないので、「もの」と「気が合う」と、迷わずに買ってしまいます。その結果、増え続けた着物と帯が600点を超えた時、家族から「出ていってくれ」と言われました(笑)。当時、箪笥が大小十八棹、半襟箪笥三棹、小引き出し六点、それに加えて幅が2メートル70センチを筆頭にマリンバ3台、木琴1台。今、思うとモノの中で暮らしている感じでしたね。それで、たまたま売りに出されていた自宅からも近いこの古家を購入。「収納倉庫」をコンセプトに、知人の美術家たちに工事を依頼し2011年に完成しました。

購入当時、この家には、京都の町家や長屋の典型的な構造のひとつ、台所の天井が高く吹き抜けた「火袋」があり、大正か昭和初期に建てられた面影が残っていました。また、同じ時代に建てられた近所の立派な町家がマンション建設のため取り壊されることとなり、建具や柱などの部材を譲ってもらいました。そして、工事は解体してからが、大変! いただいた建具に合わせて開口部のサイズを調整したり、傾いた建物の補強と着物の収納棚の設置のために鉄筋を組んだり。また、壁一面に漆和紙を貼るなど、細部にいたるまで美術家たちの仕事と技法が集結しています。それで、約1年かけて完成しました。2階の箪笥11棹が収まった北壁、階段下の草履収納(写真2枚目)など、収納アイデアの宝庫です。着物や帯だけの収納を考えていたのですが、骨董市で買い集めたガラスのコップや食器(写真3枚目)を飾れる棚ができたのも嬉しいです。この改修工事のエピソードは、一冊の本『天使突抜367』(淡交社、2011)にまとまっています。

――着物を集め始めたきっかけを教えてください。

伯母が遺した大正、昭和初期の着物に興味を持ったのがきっかけです。明治維新をきっかけに西洋の文化が入ってきて、大正から昭和初期にかけて、庶民に西洋の文化が馴染んでくると、着物屋さんは洋服に負けないようにモダンなものを作り出しました。西洋っぽい着物の柄、その時代がおもしろいなと。西洋の文化と日本の文化とが混じり合っている時代。そして、江戸時代の手作りのすばらしい技術が残っている時代。古いものと新しいもの、西洋と日本古来のものが混じり合う時代性に惹かれました。

――See Sew projectでは刺しゅうの魅力を様々な方からお伺いしております。今回刺しゅうのコンテンツということで、通崎さんのコレクションの中から特に刺しゅうが魅力的なものをご用意くださったとのことですが、それぞれについて教えていただけますか?

20代後半から着物に夢中になりました。今日は、伯母のものや、着物にはまった当時京都の古着屋さん、「天神さん」や「弘法さん」といった京都の骨董市で買ったものの中で、特に刺しゅうが素晴らしい帯を見ていただきたいと思います。

帯幅いっぱいの大きなゆりの刺しゅう帯(写真4枚目)は、夏用の絽(ろ)、伯母の帯です。このゆりをひと目見て「すごい!」と心を打たれ、刺しゅうの素晴らしさに目覚めました。 もうひとつ、夏用のゆりの帯(写真5枚目右上)。日本刺しゅうの手法を用い、モダン且つ立体的に表現されています。
締めると、桜の扇の模様がちょうどお腹の辺りにくる帯(写真5枚目左下)は、知り合いからいただいたもの。染めと刺しゅうの合わせ技がとても贅沢です。
京都の古着屋さんで購入した、夏用のたて絽(ろ)(写真5枚目左上)、つばめの帯。こんなに細かい刺しゅうには、もう二度と出合わないだろうと、即決。背景が海なのか、雨空なのか、見立てがおもしろいですね。描けば絵になるものを、糸を使って絵を描く、その「わざわざ感」に惹かれます。

――着物の襟元を華やかに飾る、半襟にも刺しゅうが多いですね。

京都の老舗呉服店で “えり”と屋号に付くところは、もとは半襟屋さんだった名残らしいです。着物のおしゃれには欠かせないアイテムだったのでしょうね。弘法市では半襟入れや半襟箱、半襟収納用の箪笥(写真6枚目)も見つけました。

赤は舞妓さん用の半襟(写真7枚目右)で、付けたことはありません。
水色の半襟(写真7枚目中央右)は、古着屋さんで見つけたデットストック。店名「ゑ里治」と電話番号、六円三十銭の値段までわかる“タグ”が端についたまま販売されていました。
緑の半襟(写真7枚目中央左)の染めた花柄を立体的に見せるための刺しゅうや、紫の半襟(写真7枚目左)の幾何学的な模様の刺しゅうなど、これらの半襟の刺しゅうは現代ならミシン刺しゅうの技術が活かされそうな分野かなと思います。しかし、これらの刺しゅうはすべて手作業。見ただけで手間のかかり具合がわかるので、その豪華さが伝わりやすいですね。

――多くのコレクションの中に現代のミシン刺しゅうの半襟もありましたが、ミシン刺しゅうについてもご興味をお持ちですか?

2014年、友人である刺しゅう作家・長野訓子さんに、半襟の刺しゅうをオーダーしたことがあります。長野さんには「スパイと踊り子」(注)というテーマを伝えただけ。デザインは任せて何が出来上がってくるのか楽しみでした。彼女の作品が好きで直感でお願いしたのですが、正解だったと思います(写真8枚目)。ゆかたのプロデュースをしていた時は、鼻緒の刺しゅうも依頼していました。

(注)「スパイと踊子」: 2014年「通崎好み選展〜コレクションとクリエイション 通崎好み」の際に発表された画家・谷本天志氏による着物と帯のテーマ。通崎睦美さんのCDタイトルにもなっている、伊左治直氏作曲「スパイと踊り子」からの「お題」。

――手刺しゅうも、ミシン刺しゅうのものもお持ちなんですね。ご自身でも刺しゅうをされることはありますか?

実家が風呂敷の縫製を仕事にしているんです。そのこともあって、裁縫にまつわることは幼いころからつい父に任せてしまうので、私自身はまったくしません。私はというと、子どものころからマリンバと、あと、何かを調べるのが好きでした。先日、「通崎家」の歴史を調べていた時のこと。曾祖父が、富山から京都に出てきて私で四代目、100年を迎えるのですが、戦時中にはすでにブラザーさんのミシンを使っていることがわかる書類が出てきました。ずいぶんと長い間、お世話になっているようです。

――古いものが身近にある暮らしをされているのですね。

特に古い物を意識したわけではありませんが、好きなものを身近におくと、自然とそういうことになりました。アンティークの着物や帯、リノベーションを施した家、そして1935年製の木琴。「趣味」「暮らし」「仕事」、全てが大正から昭和の初期の時代に重なっています。古い物を今に活かして使うには、ちょっとした工夫、時には苦労も伴いますが、それも含めて楽しめればいいかなと思っています。古い木琴で現代曲を演奏したり、アンティークの着物に現代刺しゅう作家の半襟を合わせたり。古いものと新しいものが自然に融合していくと素敵かなと思っています。

 

text:萩永麻由加 photo:石川奈都子


Mutsumi Tsuuzaki

5歳からマリンバを始める。京都市立芸術大学大学院音楽研究科を首席で修了後、マリンバ奏者として活躍。名木琴奏者・平岡養一氏の木琴を譲り受けたことを機に、現在は木琴奏者として活動。様々な楽器とのデュオ、室内楽やオーケストラとの共演、コンサートを精力的に行い、音楽活動を通じて木琴の復権にも心を尽くしている。他に、文筆家としても著名で、木琴の歴史と平岡氏の生涯を書いた『木琴デイズ 平岡養一「天衣無縫の音楽人生」』(講談社、2013)では、「第24回吉田秀和賞」「第36回サントリー学芸賞」を受賞。現在、読売新聞書評、産経新聞(大阪本社版)連載コラムを執筆する。アンティーク着物コレクターやその審美眼の評価も高く、2004 年頃にはコレクションを中心に自らが選んだ美術品等を集めた「通崎睦美選展〜通崎好み」が国内4都市で開催された。

https://www.tsuuzaki-japan.com/